泉の広場はなぜ待ち合わせの定番?噴水の歴史と「立ちんぼ」の黒歴史も紹介

大阪雑学

大阪・梅田には、昔からいくつもの有名な待ち合わせ場所があります。「BIGMAN前」「阪神百貨店前」などと並び、長年親しまれてきたのが「泉の広場」です。

「泉の広場で待ち合わせな」

大阪に住んでいる人なら、一度くらいこんな約束をしたことがあるのではないでしょうか。

ただ、久しぶりに泉の広場を訪れた人は驚くかもしれません。かつて広場の中央にあった大きな噴水は、現在ありません。

それでも名前は「泉の広場」のままです。

そもそも泉の広場はいつ誕生し、なぜ大阪を代表する待ち合わせスポットになったのでしょうか。そして、なぜ噴水は姿を消したのでしょう。

今回は「泉の広場 待ち合わせ」をテーマに、その歴史から現在の姿、さらにかつて「立ちんぼ」が集まる場所として知られた、あまり表には出てこない一面まで紹介します。

泉の広場とは?梅田地下街の東側にある有名スポット

泉の広場があるのは、大阪・梅田の地下街「ホワイティうめだ」です。

JR大阪駅やOsaka Metro梅田駅などが集中する中心部から地下街を東へ進み、イーストモールの先にあります。

梅田の地下街は非常に広く、初めて訪れた人からは「梅田ダンジョン」と呼ばれることもあります。

その複雑な地下空間の中で、泉の広場は昔からひときわ分かりやすい目印でした。

しかも周辺には東通り商店街、曽根崎、兎我野町など飲食店や歓楽街が広がっています。

飲み会やデートへ出かける前に集合する場所としても、非常に都合がよかったのです。

現在でも「泉の広場」という名称そのものが、梅田のランドマークとして定着しています。

泉の広場が誕生したのは1970年

泉の広場の歴史は、1970年(昭和45年)に始まります。

ホワイティうめだの前身である「ウメダ地下センター」、通称「ウメチカ」は1963年に誕生しました。

その後、地下街の拡張にともない1970年に2期部分が開業。その際に設けられたのが泉の広場です。 (大阪地下街株式会社 | おおさかの地下街)

ちょうど大阪万博が開催された年です。

当時は、「地下街は味気ない」「地下にも憩いの空間がほしい」という声があったといいます。

そこで誕生したのが、噴水を中心にした広場でした。

地下街の中に水が流れる空間が存在するというのは、当時としてはかなり珍しかったのではないでしょうか。

買い物客や通勤客が足を止める「地下のオアシス」として、泉の広場は人気を集めていきました。

初代噴水はシャンデリア付きだった

1970年に誕生した初代の泉の広場は、現在のシンプルで明るい空間とはかなり雰囲気が違いました。

天井は大きく吹き抜けたような構造になっており、シャンデリアが設置され、7色のスポットライトを浴びた水が3段になって流れ落ちる造りでした。

珍しさから、噴水へ硬貨を投げ入れる人も多かったそうです。

いわゆる「願い事をしながらコインを投げる」というスタイルでしょう。

こうして人が自然と足を止める場所になったことで、泉の広場は次第に待ち合わせ場所としても使われるようになります。

泉の広場はなぜ待ち合わせ場所として有名になった?

泉の広場が待ち合わせ場所として定着した最大の理由は、やはり圧倒的に目印として分かりやすかったことでしょう。

スマートフォンはもちろん、携帯電話すらない時代です。

今なら、

「今どこ?」

「地下にいる」

「Googleマップ送るわ」

と簡単に連絡できます。

しかし昭和の時代の待ち合わせは違います。

一度家を出てしまえば、相手と連絡する方法がほとんどありません。

だからこそ、「誰でも知っていて、場所を間違えにくいランドマーク」が重要でした。

その条件に泉の広場はぴったりだったのです。

地下街の通路の途中に突然現れる大きな噴水は視認性が高く、「泉の広場の噴水前」と言えば、多くの大阪人に通じました。

また、東通り商店街や曽根崎方面へ向かう途中に位置しているため、飲み会やデートの集合場所としても便利でした。

大阪地下街の公式資料でも、泉の広場は長年「人が出会い、集まり、別れる起点」と位置づけられています。 (Osaka Metro)

噴水は3代にわたって変化した

泉の広場の噴水は、実はずっと同じものではありません。

1970年・初代噴水

初代はシャンデリアとカラフルな照明が特徴でした。

大阪万博の年らしい、少し未来的で華やかなデザインだったといえるでしょう。

1981年・2代目噴水

1981年には施設のイメージアップを目的に全面改装。

2代目は多段式の水の流れとカラーランプを組み合わせ、天井には鏡面仕上げのステンレス、壁面にはステンドグラスが採用されました。

昭和の地下街らしい、きらびやかな空間でした。

2002年・3代目噴水

そして2002年、泉の広場は再び全面改装されます。

登場した3代目噴水は高さ約3メートル、直径約9メートル。

大理石製で、大阪市の姉妹都市であるイタリア・ミラノの彫刻家がデザインしました。

周囲には少年像が配置され、天井には青空と雲が描かれていました。

筆者を含め、ある程度の年代の大阪人が「泉の広場」と聞いて思い浮かべるのは、この3代目ではないでしょうか。

2019年、泉の広場から噴水が消えた

そんな泉の広場に大きな転機が訪れたのが2019年です。

ホワイティうめだの大規模リニューアルにともない、約半世紀続いた噴水が撤去されることになりました。

2019年5月にはお別れイベントも開催され、多くの利用者が思い出の噴水との別れを惜しみました。

「なぜ、わざわざ泉の広場の象徴だった噴水をなくしてしまったのか?」

疑問に思った人も多かったでしょう。

理由のひとつが防災面です。

大勢の人が利用する地下空間だけに、災害時には広いスペースを確保する必要があります。

さらに、広場をさまざまな用途に活用しやすくするという目的もありました。

つまり、時代に合わせて「見るための広場」から「使える広場」へ変化したわけです。

現在の泉の広場には「Water Tree」

噴水がなくなったあと、「泉の広場」という名前まで消えるのかと思われました。

しかし名称は残されました。

2019年12月にリニューアルした泉の広場には、新たなシンボルとして「Water Tree(ウォーターツリー)」が登場しています。

水と木を組み合わせた「生命の木」をイメージしたモニュメントで、LED照明によって水のきらめきを表現する仕組みです。

本物の水はありません。

それでも「泉」という記憶を、光によって残したデザインになっているのがおもしろいところです。

今も待ち合わせ場所として利用でき、近くにはM-14号階段などもあります。ホワイティうめだの公式案内でも、泉の広場周辺は現在も施設内の主要地点のひとつとして案内されています。

泉の広場にはもう一つの顔があった

さて、ここまでは大阪人に親しまれてきた泉の広場の歴史を紹介してきました。

しかし、泉の広場には華やかな待ち合わせ場所とはまったく異なる一面もありました。

いわば「黒歴史」です。

かつて泉の広場周辺には、俗に「立ちんぼ」と呼ばれる、路上で売春の客待ちをする女性が数多く集まっていた時期があります。

泉の広場は一般客の待ち合わせ場所である一方で、売春の客待ち場所として知られるようになってしまったのです。

報道によると、遅くとも2005年ごろには多数の女性が客待ちする状況が見られたとされています。 (FRIDAYデジタル)

なぜ泉の広場だったのでしょうか。

理由として考えられるのが立地です。

広場から地上へ出ると、徒歩数分の場所に兎我野町を中心としたラブホテル街があります。

さらに泉の広場はもともと待ち合わせ客が多いため、人が長時間立っていても不自然に見えにくい場所でした。

昔の噴水周辺には座れるスペースもあり、一般の待ち合わせ客と客待ちの女性を外見だけで見分けるのは難しかったといいます。

2019年から2020年にかけて61人を検挙

状況を重く見た大阪府警は、2019年から2020年にかけて取り締まりを強化しました。

報道では約1年間で、17歳から64歳までの女性61人が売春防止法違反で現行犯逮捕されたとされています。 (文春オンライン)

当時は周辺の住民や飲食店関係者などからも、風紀改善を求める声があったとされています。

ただし、噴水撤去そのものについて、大阪地下街が公表している主な理由は防災面や広場活用です。

「立ちんぼ対策のために噴水を撤去した」と断定するのは正確ではありません。

ここは分けて考えたほうがよいでしょう。

リニューアルによって広場の構造や雰囲気が変わり、警察の取り締まりも進んだことで、かつてのような光景は大きく変化しました。

泉の広場の歴史を振り返ると、華やかな待ち合わせ場所と夜の歓楽街、その両方を抱える「梅田」という街の性格がよく表れているようにも思えます。

まとめ|噴水がなくなっても「泉の広場」は大阪人の待ち合わせ場所

泉の広場は1970年、大阪万博の年に誕生しました。

地下街に設けられた大きな噴水は当時としては珍しく、目印として非常に分かりやすかったことから、自然と待ち合わせ場所として利用されるようになりました。

初代、2代目、3代目と姿を変えながら約半世紀にわたり大阪人を見守ってきた噴水は、2019年に撤去。

現在は「Water Tree」が新たなシンボルになっています。

そして忘れてはいけないのが、泉の広場が単なる美しい思い出だけで語れる場所ではないことです。

待ち合わせスポットとして親しまれる一方、かつては「立ちんぼ」が集まり、大阪府警による大規模な摘発が行われた時代もありました。

明るい歴史もあれば、少し影のある歴史もある。

それを全部含めて「泉の広場」なのかもしれません。

噴水そのものは姿を消しましたが、大阪人の記憶の中では、今でも「泉の広場=待ち合わせ場所」。

その存在感は、簡単には消えそうにありません。

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